【2.26】軍人だった祖父のこと

2021年7月4日

Born in 1915, and in 1936 he was called up on 26th February.

今日は埼玉。
久しぶりの百貨店でのお買い物。ショッピングモールやアウトレットとは、雰囲気が違っていいですね。

カフェでゆっくりとした時間を過ごせました。


家で祖父の話になったのが、今回の本題です。

実は、祖父が二・二六事件に参加しています。

参加していたことは自分が小さいころから知っていましたが、二・二六事件っていわゆるクーデター未遂事件ですから、公言してきませんでした。ただ今回、父からあらためて祖父のこと・事件のことを聞いて、とても誇らしく思ったので書くことにしました。

祖父は大正4年(1915年)5月生まれ。祖父の父が早く亡くなったことで、長男である祖父は陸軍に入りました。軍に入ると、家族の福利厚生が手厚くなるから、というのが理由だったようです。

旧制中学校に行っていたと言っていましたから、5年制の旧制中学校卒業直後に、つまり17歳で1932年に入隊したとしたと仮定します。
そうすると、二・二六事件のあった1936年2月は、20歳で満2年は経っていたことになります。

1936年2月26日未明、青年将校らの非常招集に呼応して、蹶起し襲撃対象のもとへと向かいます。

家にあった「二・二六事件と郷土兵」を開いてみると、年齢的に下士官だったんじゃないかと思います。初年兵や二年兵の年齢は過ぎているはずですから。それにしても初年・二年が大多数を占める組織ピラミッドですが、軍拡の時代だったからでしょう。

部隊は、後の総理大臣 鈴木貫太郎を襲撃したということから「第一師団 歩兵第三連隊 第6中隊(中隊長 安藤輝三)」と思われます。鈴木貫太郎を取り囲んだらしいので、ある程度の地位にある下士官というのはつじつまが合います。

その後、主力が立てこもったのが、溜池山王の山王ホテルというのも、何かの縁を感じます。最後まで残ったのが第6中隊だったそうです。

それにしても、二・二六事件に参加したほとんどが、埼玉県の兵士だったとは知りませんでした。

誰が首謀して、どこまでが大義があったのか、それとも命令に従っただけか、という議論は専門書に任せるとして、
祖父は直接の処罰こそされませんでしたが、その後 満州国に行っています。
終戦は日本で迎え、民間企業に就職し、結婚し一女一男をもうけた、それが自分の父です。

祖父は自分が小学校ころに亡くなりましたが、祖母はまだ元気です。
祖母が、祖父の軍役か外地経験でいまでも恩給をいただいているという話を聞くと、とても身が引き締まる思いがします。


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