【Hayachine】恒例の早朝登山で11月の早池峰山に登る

2023年11月5日 Early morning trekking (Night hike) to Mt. Hayachine 東北旅行恒例の早朝登山に行ってきた。今回は岩手にある百名山 早池峰山。過去の早朝登山はこちら【Zaosan】蔵王最高峰 熊野岳 蔵王温泉から早朝登山11月【Omoshiro】早朝の三沢山・面白山は全面真っ白 雲の中 今回の核心は、河原坊駐車場へのアクセスだった。 矢巾の宿から最短ルートを選択したのだが、折壁峠には鹿が多く出没した。出没したのは僕のほうなのだが、お互いにぶつかってけがをしてしまっては元も子もない。慎重に登山口の駐車場を目指した。 折壁峠に入った時 折壁峠を抜けると、早池峰湖からはいったん走りやすい道になる。 県道25号線も岳地区の宿坊を過ぎると、再び狭い道になる。 そして河原坊駐車場に着き、4:00登山開始となった。 https://yamap.com/widget.js 11月早朝の早池峰山登山 / カメの甲羅さんの早池峰山の活動データ | YAMAP / ヤマップ 最初は舗装道路を歩く。河原坊駐車場より先に駐車スペースがないためだ。 クマなど遭遇しないように、熊鈴を慣らしながら真っ暗な道を進む。空を見上げると一面の星空だった。 小田越から入山。登山口には計画書のポストと入山者カウンターがあった。 樹林帯を抜けるまでは、木道やら階段やらきれいに整備されていて、こわいのは暗闇と意図しない熊との遭遇だけ。 樹林帯を抜けると一面の星空が広がる。だんだんと白んできたが、まだ日の出まで時間がある。 風を遮るものがなく、ジャケットを着た。 東の空が白くなってきた。途端に星が消えていく。 昨日ほどではないが、いい朝焼けだった。 振り返ると、雲海と薬師岳 行く先には岩稜地帯が待ち構える。 ハシゴは聞いていない。風が吹く中、足掛かりの浅いハシゴはなかなか高度感を感じた。 ハシゴをすぎると岩稜帯も残すところあとわずかと思えるのも帰って来てから。登りではまだかまだかと思いはじめるころだろう。こうやって視界がわるいとなおさら。 稜線に出ると、勾配がなくなり、木道が整備されており、天国だった。 ガスの向こうに避難小屋が見えた。避難小屋は新築の香りがしてとてもきれいだった。 避難小屋のすぐ先が、頂上だった。6:20 早池峰山1917m登頂なり さて朝食にありつけるように帰ろう。 最近はこのトレイルシューズを使っている。重登山靴と比べるとねじれ保持性が弱かったり、岩に足側面をあてると痛かったり、デメリットもあり悩ましい。下りでデメリットは顕著になる。 ピストンで同じルートを戻るが、行きは暗くてよく見えなかったので、帰りの風景も新鮮だ。 広大な風景が広がる。さすが百名山 樹林帯の登山道もきれいに整備されている。 7:57小田越に下山し、あとは舗装道路区間を残すのみ。快適な下りなので、ランで時間短縮。これから登山する方たちと多くスライドした。 早池峰山全景いい山だった。 河原坊駐車場に下山 参考に駐車場の風景を貼っておく。河原坊駐車場より上には駐車スペースはないので、ここにとめておくことになる。 帰りの道中は明るく、紅葉がきれいだった。 奥に見えるのは岩手山か?ぜひ行ってみたいものだ。…

【Miyazawa】岩手と言えば宮沢賢治とわんこそば【Wanko soba】

2023年11月4日 Wanko soba noodle, don’t stop eating till you’re full. 三陸海岸から離れ、山を越えて花巻市を目指した。次の目的は、宮沢賢治とわんこそばである。 山あいの道を抜け、いざ花巻へ 2007年にMR2で岩手に行ったことを思い出す。当時は東北自動車道から海岸に出るのが大変だったが、今回は一般道と無料高速道路で快速だった。 当時は、「山猫軒」で食事できなかったのが心残りと書いている。今回はそのリベンジにもなるはずだ。 「山猫軒」は大人気岩手ナンバーや盛岡ナンバーのレンタカーが多い。みなさん新幹線や飛行機で来て、レンタカーで回っているのだろう。 今回は無事食事ができてよかった。『どなたもどうかお入りください 決してご遠慮はありません。』 「山猫軒」と宮沢賢治記念館は山の上にあり、他にも宮沢賢治イーハトーブ館や宮沢賢治童話村が山麓に点在している。山の上からポランの広場を通って行く道がよかった。 紅葉のタイミングばっちりだった。 イーハトーブ館のあとは、童話村~ 宮沢賢治童話村の賢治の学校賢治独特な世界観だった。 夕食はわんこそば。昼食がメインのためか、予約必要で18時までなので要注意。こちとらしっかりお腹をコントロールして、やる気満々 薬味がついてきた。これで味変しながら食べていく。わんこそば大会では、薬味はないそうなので、一般向けにはこうやって食べやすくしてくれているのだ。 それでは、いただきます! 1列が15杯。比べてはいけないかもしれないが、二郎系ラーメンとは対極の世界。あっさり出汁の細麺をテンポよく食べていく。 60杯くらいで薬味を使い果たし、お腹もきつくなってきた。 区切りよく75杯で蓋。お腹いっぱい、ごちそうさまでした。 給士の方はひとりで5人以上を担当しているにもかかわらず、気づいたら椀にそばが入っている職人技。後ろにも目がついていそうな感じ。わんこそば小話を聞かせてくれて、有意義なひとときだった。 ムスメたちも予想以上に食べた。中高生になったらまたチャレンジしたいそうだ。 食後の苦しいお腹を労わりつつ、未来都市銀河 地球鉄道壁画へと向かった。 変哲もないコンクリート壁に、夜だけ浮かび上がる未来都市銀河と地球鉄道。(駐車場はないので、アクセスは要注意だ。) 近くを散歩したりして小一時間すると、不思議なことに わんこそばの苦しさは消えていた。

【Rikuzen】震災伝承施設めぐり:石巻市大川小学校、陸前高田津波伝承館

2023年11月3日 Visited the facilities related to the Great East Japan Earthquake 東日本大震災の震災伝承施設をまわってきた。南海トラフ地震に備えるいいきっかけになったと思う。 に行った。三陸海岸沿いを中心に多くの震災伝承施設がある中の一部だが、百聞は一見に如かず。行ってよかった。https://www.thr.mlit.go.jp/shinsaidensho/map/index.html 昔は松島基地航空祭でよく出没していた東松島市。当時は整備されていなかった三陸自動車道で抜けて、河北インターチェンジで降りた。 北上川の堤防沿いに走って行くと、このあたりの地形がよくわかる。たしかに海からの距離はあるが、本当に平らな地形なのだ。 石巻市震災遺構大川小学校 訪れたのは震災遺構大川小学校うちの子たちに身近な施設を選んだ。 行って分かったがすぐ裏手に山がある。そこに津波到達線があり、2階建ての小学校校舎の屋根より高い位置である。この写真は、その到達線より高い位置から撮ったもの。 いまではこんな道になっている。当時はどのような道だったか知らないが、シイタケ栽培でこの山を使っていたようだ。この道を登っていれば、尊い命は助かったかもしれなかった。避難方法について考えさせられる施設だった。 これもうちの子が撮っていた写真。この記憶を教訓にしてほしい。 東日本大震災津波伝承館(いわてTSUNAMIメモリアル)高田松原国営追悼・祈念公園タピック45(旧道の駅高田松原) 震災後に整備された防潮堤から、東日本大震災津波伝承館(左)とタピック45(右) 海岸線沿いに強固な防潮堤が続く風景は、心に響いた。 奇跡の一本松。海側のユースホステルが守ってくれたという。 陸前高田ほしぞらファミリーキャンプ場 気分を切り替えて、近くのキャンプ場に幕営。当時の津波浸水地域で、避難場所の説明を受けた。 奥に見えるのが高台の陸前高田市の市街地。歩けない距離ではないが、クルマで買い出しに行った。 地元でとれたサンマ炭火で焼くと外がカリッとして、美味しかった。 炭火で焼けばなんでも美味しい。 ニンニクとエビのアヒージョ的な 例年より気温が高い11月で、そこまで過酷なキャンプではなかったのがよかった。それでも、自然とたき火の周りに集まってくる。家ではできない団らんの時間となった。 薪は斧で割っておいたもの。1ヶ月強の乾燥でもよく燃えてくれて楽しかった。 火を見ていると時が経つのを忘れる。 左の氷上山に行こうかと思っていたが、のんびりした朝も悪くない。朝焼けきれいだった。 残りのたき火で暖まりながら、朝焼けを楽しんだ。 高台の市街地の公園。近くのスーパーの駐車場では防災訓練の準備をしていた。 天災は忘れた頃にやってくる。

【Adolescence】青春18きっぷ北海道の旅【Hokkaido】

“Seisyun 18 kippu” ticket is the all JR free pass which is only available on local trains excluding expresses.   久しぶりに青春18きっぷで北海道に行ったメンバーで飲み会をしたので、思い出したことを書いておきたいと思います。 これを書いているのは2015年ですが、実際に行ったのは2000年。青春18きっぷの名にふさわしい年頃で、冒険とよぶにふさわしい5日間でした。15年も経って詳細な記憶は薄れていましたが、メンバーが当時の時刻表を見つけてくれました。感謝・感激です!   これが15年の時を経て見つかった自作時刻表! 1日1行で、乗る列車が示してあります。 ベースになっているのは市販の携帯時刻表ですが、すぐにみられるように抜き出して作っていたんですね。 北海道に行った2000年の時刻表は見つからず。。。(これは2002年の時刻表) 旅の時も携帯していて、いざという時は確認するようにしていました。   ギリギリの日程で組んであるので、接続できなかったら大変。目的地の釧路まで行けないばかりか、帰りは切符の範囲内で帰って来られなくなってしまいます。   北海道は広大でした。青春18きっぷは基本的に鈍行、乗れても快速までなので、順当に乗り継いでは北海道まで行って帰って来られません。 そんな状況で、関東を出発して2日目夕方には釧路に到着するという今考えても素晴らしい接続を振り返ってみたいと思います。     1日目:XXX~YYY~(高崎線)~高崎~(ムーンライトえちご)~村上~(羽越本線)~酒田~(羽越本線)~秋田~(奥羽本線)~青森~(津軽海峡線)~函館~(ミッドナイト)~出発地は伏せてありますが、場所が絶妙なんです。大宮からだと24時前になるので、貴重な1日分を使ってしまうのですが(別途切符を買えばOK)、この出発地の場合ちょうど24時を過ぎた後の高崎線下りに乗ると、高崎でムーンライトえちごに接続できます。ムーンライトえちごは快速扱いなので、青春18きっぷで乗ることができます!リクライニングシートは別途予約しました。それでもちょっと窮屈だけど、いっきに東北へ。ムーンライト系の夜行列車、これがなかったら5日間で北海道往復は実現しませんでした。 羽越本線、奥羽本線と乗り継いで、青森から津軽海峡線です。2015年からは新幹線開業に伴う準備で、在来線って残っていないんですよね。いま思うと貴重な青函トンネル通過でした。2016年からは北海道新幹線が楽しみです。 ちょっと話が脱線しましたが、まだ1日目は終わりません。函館でちょっと海まで歩いてから、札幌行のミッドナイト乗車。これまた予約したリクライニングシートで長かった1日目が幕を閉じました。     2日目:~(ミッドナイト)~札幌~(函館本線)~滝川~(根室本線)~釧路2日目は6:30札幌着。朝食を食べる間もなく6:38発の滝川行に乗り換えます。滝川では1時間ほど時間があったので、改札をでて朝食を食べたのだとと思います。 なんといってもここから怒濤の7時間超の乗車が待ってますから!夜行ではなく日中の運行で7時間超は、いろいろな意味ですごいです。まず鈍行ですから座っているとお尻が痛くなってくるんです。そりゃこれだけ長く座っていればねぇ。身体的な苦痛だけでなく、精神的な苦痛もあったように記憶しています。素晴らしい風景が見えると思いきや、かわり映えのしない風景なので、飽きてきちゃうんですよね。大富豪というトランプゲームで時間をつぶしていたらしいです。 それでも17:15に釧路着!出発から41時間10分で目的地到着~~。 その晩は市場で勝手丼(ご飯と寿司ネタを自由に買ってきてつくる自分丼)をたべて、公園で寝袋IN。     3日目:釧路~(釧網本線)~釧路湿原~(釧網本線)~釧路~(根室本線)~帯広~(根室本線)~滝川釧路の朝も市場で勝手丼。そのあとは釧路―網走間を走っている釧網本線で、釧路湿原に行ってきました。 ホームだけの無人駅で、ホームから釧路湿原が見えます。たいして出歩きもせず、来た列車に乗って釧路に戻りました。 残りの時間は釧路ぶらぶらして、午後には帰路につかないと5日目までに家までたどり着けません。まぁ、こんなタイトなスケジュールの中で、釧路で22時間ほど滞在できたのでよかったですwww 途中、乗り換えの帯広でジンギスカン食べたらしいです。乗り換え1時間しかなかったけどよくトライしたなと思います。帯広から滝川までもどり、駅周辺のどこかで寝袋IN。     4日目:滝川~(函館本線)~岩見沢~(函館本線)~札幌~(函館本線)~苫小牧~(函館本線)~東室蘭~(函館本線)~長万部~(函館本線)~函館~(津軽海峡線)~青森 4日目からは怒濤の乗継です。3日目までは乗車時間の長い列車で、乗継回数は少なかったですが、4日目は乗継6回。 札幌で1時間ほど乗り継ぎ時間があったので、ラーメンを食べたらしいです。記憶があいまいです。長万部でも1時間あったことになっていますが、たしか長万部は駅の周りに何もなかったと記憶。基本的に鈍行で車内販売もないので、いったい何を食べていたのでしょうか?…